日本に里帰りする前に、友人に頼まれた香水があったのでプランタンへ行って来た。
ラッキーなことに、わたしのプランタンカード(ってかTakashimayaカード)で10%割引してもらえた〜。免税店で売ってない香水だけど、割引付きならお得な感じ。
3ヶ月以上フランスに滞在する人なら、たしか滞在許可証を提出すればもらえます。ギャルリ−ラファイエットにも同じようなカードあり。旅行者は、12%オフのチケットがもらえるんだって。さらに免税手続きもできるのかな?多分。
普段、ブラブラすることはあってもお高くてソルドの時以外デパートでは買い物しないので、久しぶりで緊張した(店員とコミュニケーションを取りながら買い物しなきゃいけないから)。
そしたらどこかからにぎやかな音楽が聞こえて来た。なんだろーと、見てみたらでっかいシャネルのこけしが!!!!
正確に言うとロシアのマトリューシュカだけど…。
今年のプランタンクリスマスはロシアをフィーチャーしているらしく、そこかしこにこけし、もといマトリューシュカがにっこり笑っている。
この日は、ロシアの伝統衣装を着たおじさんとおばさんが、巨大なシャネルとディオールのこけし(どうしてもこけしと書いてしまう!)前で音楽を披露していた。このこけし、この後一体どこへ行くのでしょうか…。
ショーウィンドウにもこけし発見。去年は何だかファンタスティックで可愛らしい感じだったけど、今年はもっと大人っぽい雰囲気。思いっきりゴージャスに飾られたウィンドウ。
こういうウィンドウを見てるのはホント楽しい。
お正月よりもこっちはクリスマスが俄然盛り上がるので(キリスト教徒ど真ん中だし)、早くもデパートはプレゼントを買う人達でごった返していたのでした。
わたし的にパリのクリスマス:こけし発見
Dec
パリ生活は楽じゃないぜ!滞在許可証更新の話。
Dec
私の体験談じゃないけど、昨日友達から恐ろしい話を聞いた(幽霊話ではない。わかってるってね)。
大学に行ってる留学生。在仏4年。2年間は語学学校で、後は大学(Licence)と大学院(Master)を掛け持ちしている。しかし、一回も進級試験に合格したことがないので、滞在許可証が更新できずPrefectureの人に「今週末までにフランスから出て行くように」と勧告されたらしい。
ひょえ〜!確かに、確実に進級していかないとちゃんと勉強せずにヤミで仕事やってんじゃないのか?と疑われるので、更新が難しくなるのはわかる。
でも強制退去かー。言われた本人はどれほどショックだったでしょう。
この決定を覆すには裁判を行うしかないらしく(教授の手紙とかで大丈夫なのかと思っていた甘い私)、弁護士を雇ったり、また弁護士を雇うための費用を保証する証明を出さなきゃいけなかったりこれまた面倒なことに。
しかもこっちの裁判って長くかかるっていうし、まさに自分の精神力と経済力と色々な面を試される。
今年は授業数が少なくなったものの、授業内容もよりアカデミックに難しくなっているし、仕事ですっかり疲れて勉強に身が入らなかったりしていたので、この話を聞いてちょっとぞぞーっときた。
来月には1学期の試験がある。「今回はけっこうやばいかも」と思っていたが、それどころではなく、がっちり勉強しないと。
メトロはカラオケボックス?!
Dec
最近、メトロに乗っていて気づいたことがある。
メトロでは、色んな楽器を持った人達(主にアコーディオン)が乗って来て即興で演奏し、お金をもらうのを見かけるが、何か最近多い気がするのがカラオケ。
ポータブルカラオケマシーンみたいなのと共に車両に乗り込み、エコーの効いたマイクで歌い出すというもの。
しかも、歌う人は妙齢のおばさんで、しかも日本でいうと昭和メロドラマの主題歌みたいな何だかメロウで粘っこい歌ばっかり。確かに上手い。上手いよおばさん!でもメトロで他人のカラオケ聴くのってどうなのさって感じ…。
メトロで聴くならば、やっぱり生音の楽器の音を聴きたいなーと思う。
どうしてこんなにカラオケ in メトロが流行ってるのかわからない。誰もお金あげてないみたいだし。なのに、どのメトロに乗っても見かけるのさ。そして、通勤のブルーな気分の時に、「なぜ私を捨てたのよ〜♬」みたいな歌を歌われると、どんどん落ちていくのさ。
私のお気に入りのウィッキーさん似のおじいさん(味のあるヴァイオリンを弾く)も最近はめっきり見かけないし、プロでもない人の歌聴かされるし、何だかもうちょっと何かないのかね〜メトロ。と思う今日この頃。
パリのデジタル生活:ポラロイドにハマる
Nov
前々から、何かいい写真の加工術はないもんかと思っていたら、偶然見つけたアプリケーション。
自分の写真をポラロイド写真風に加工できるというものらしい。
試しにダウンロードしてやってみたら、簡単で古ぼけたいい感じの仕上がり。ポラロイド上に自分の写真をドラッグするだけ。本物並みにちゃんと時間をかけてじわじわと写真が見えてくる。
細かい設定なんかはよくわかんないけど、とりあえずデフォルトの設定で十分な感じ。
興味あったら使ってみてね→http://www.poladroid.net/
全部英語だけど、使い方のビデオがあるので、それを見るだけで理解できる。
Photoshop持ってるけど、けっこう私は時間がかかるので、そんなに時間をかけずにささっと作りたい時はとっても便利だと思う。何だか仕上がりもまるで写真が上手な人みたいだし(笑)
パリの日常:そういやハロウィーン?
Oct
今頃、日本ではソニプラあたりにカボチャのキャンディーなんかが並んでいることでしょうが、こちらでは私の見る限りなーんもありません。
ハロウィーンはアメリカのお祭りなので、日本同様イマイチな盛り上がり(ってか盛り上がってない)。日本は一生懸命グッズを売ろうと頑張ってる分、商売っ気があるってもんだ。
その代わり、Toussantがある。代わりというか、元々ハロウィーンもトゥッサンも同じ諸聖人を祝うお祭り(万聖節)。ハロウィーンは万聖節の前日、トゥッサンは当日。でもカボチャをかぶって近所の人に「呪いかおかしか選べや」と言いながら脅迫するっていう習慣はないってことなのね。
ということで、パリは今トゥッサンのバカンス真っ最中。でも仕事をしてる人はお休みなし。基本的に学校だけみたい。私の大学はお休みじゃないけど。メトロやお店に子供がうじゃうじゃいてちょっぴりウザい(親と同じく際限なく喋るし、まっすぐ歩かないから苦手だ)。
日本でいうとお盆みたいなものらしいけど、今のところ私の周りでは、殊勝にも先祖のお墓へご挨拶に…というフランス人は無し。
夏時間も終わり、太陽が沈むのが早くなって、木枯らしに吹かれながら「あ〜今年も寒すぎて引きこもる毎日がやってくる〜」とビビる私。こっちは冬が長いので、毎年恐怖(冷え性がすごいので)。
仕事の方は、日本語のプロジェクトがなくなっちまったので無事契約終了。ちょっと休みたかったのでちょうどよかったんだけど、こうして時間が出来ると何か落ち着かない。どうせ時間があっても宿題は前日にしかやんないし(三つ子の魂百まで)…。また就活がんばろー。
パリのこばなし:変わった人たち
Oct
変わった、というほどでもないが、何だかおもしろいなーとそこはかとなく思える人たちがいる。
例えば私の相方の同僚たち。
若くしてパリにアパートを購入。イメージ的にまさにパリのヤンエグって感じぃー?なのだが、そのローンの返済のために自分のうちではご飯を食べず、友人の家で食べさせてもらってる人とか。しかも暖房代も払えないので、家の中でコート着てるらしい。ってかほとんど家に帰ってないのではないかと思う…(マイホームの意味はあるのだろうか)。
17時半に仕事を終えて帰ったのに、いきなり19時過ぎに会社に戻ってきたので、「どうしたの?」と聞くと「いやー会社で電話した方が安くつくから」と答える人。
ここだけでなく、きっと日本にもたくさんいるんだろうけど、何か小市民でとってもいいと思う。そんな人が彼氏だったらさすがにやだけど。
かくいう相方も、先日鼻のてっぺんに出来たニキビがすっかり定着してしまったので、「このままじゃやだから取ってもらう」とか言ってお医者さんに行って来た。そうしたらなぜか浮かぬ顔で帰宅。ニキビは取ってもらったらしいが、ニキビの部分を切られ、しかも縫われて非常に痛かったらしい。私が「縫ったって…それってニキビはなくなっても縫い後は残るんじゃないの?」と言ったら(正直すぎる私)。「ボクはもっと魔法みたいな方法で取ってもらいたかったのに。キー!」と怒っていた。
そんな魔法みたいな方法あるかい!少なくともフランスには(フランスの医療を信じていない)。それにしても、縫った糸でギューギュー引っ張られ、痛みに耐えた本人はえらいなーと思う。私だったら、一生ニキビと暮らす方がまだまし。
何だか楽天的っていうか、のんきっていうか、面白い人はいっぱいいるなーと感じる今日この頃でした。
パリで留学:滞在許可証更新と大学のまとめ
Oct
えっと、最近めっきりご無沙汰です。
風邪を引いて初お医者さんにかかり、3日間外出禁止をくらってました。インフルエンザのウイルスを持っている可能性がある、とのことで。Vous êtes contagieuse呼ばわり。
でもすっかり復活!
インフルエンザじゃなくてよかったー。
さて、9月末に滞在許可証が切れるということで、更新にいってきました。実はここで風邪をもらって来た。人が大勢いるところは危険です〜。
今度こそ1年もらえるかドキドキしたものの(前回は大学なのに理不尽にも半年しかくれなかったから)、念願の1年更新達成!
「来年の9月まで出ましたよ」と窓口の人に言われた時、頭の中でファンファーレが鳴った。それくらい嬉しかった〜。だってまた半年後に来るのヤダし。30ユーロ余計に払わなくて済む!
でも、幸運が続いたためか、いきなり電子辞書が「バキ!」という音を立ててぶっ壊れた…。なんか不吉な予感…(と、思ってたら本当に不吉なので考えるの止めました)。
10月に入っていよいよ大学が始まった。仲の良いお友達はみんな一緒に進級できた!あー嬉しい。でも、仲の良いフランス人の友達はほとんど進級出来ず(涙)みんな仕事しながら夕方に大学に来る、というスタイルなのでやっぱりなかなか両立は難しい。出席できない授業もたくさんあって、ハンデも大きいし。
授業に行って、久しぶりに2時間ぶっ通しディクテ(講義のノートを取ること)と、授業によっては初日にいきなりテストがあったりして、知恵熱出てます…。
本当は、去年より授業数減ったのでもっと別の学科の授業とかいろいろ取りたかったけど、仕事があるのでそれは出来なさそうで残念。生活のためだから仕方がないかー。ちゃんと進級できるようがんばろう。
とりあえず、仕事は今のまま1ヶ月更新で、これから業務を変えるのかは私の時間割と上の人の判断で決まるので、様子見ということに。1ヶ月で契約終わっちゃう気もするが、それはしょうがないこと。大学行くの止めて仕事したところで会社が私の滞在の面倒みてくれるわけでもないし。就職氷河期に散々苦労した思い出があるので、会社がどうにかしてくれる、という意識はほとんどなし。期待せずに川の流れに身をまかせ〜作戦でいくことにした(つまり、何も作戦は立てないってことか?)。
さっそく翻訳の宿題がたんまり出たので、勉強します〜。
パリで仕事:わたし的にプレッシャー
Sep
と、思ったら(前回の続きのつもり)いきなり契約が更新された。
多分、いきなり仕事が増えてこれを終わらせないと困るんです、とチームを統轄している同僚が口添えしてくれたものと思われる。
でも新しいプロジェクトの方はやっぱりないので、本社の仕事と兼任し、あっちゃこっちゃと仕事場を行き来することになるらしい。
しかし、本社の仕事の方はフルで働いてもまだ足りないというくらい忙しいので、大学始まっても毎日出来るだけ働けないもんかとオブラートに包まれたプラッシャーが。
そう言われても、わたしの本業はあくまで学生であって、わたしの滞在許可証を出してくれてるのは大学なので、学校行かないで仕事するというスタイルはあんまり気が進まない。
日本で学生だった頃もっと一生懸命勉強しておけばよかった(遊びほうけてた訳ではなく、ただぼーっとしてた…)という、今だからわかる大人の分別ちゅうのか、そういうものがあるので、やるからにはちゃんと勉強したいし、落第してる猶予はわたしにはない。
でも生きていくためにはお金が必要。今の仕事は勉強にもなるし、面白いし出来れば続けたいとも思う。勉強と仕事、この生活の2本柱をどう両立するか、そこが悩むところ。
本当は家庭と仕事の両立に悩むべきお年頃なんですけどね…
父親が常々わたしに言い聞かせる「立身出世しろ」の言葉が生きているのか(あたしゃ息子かい)?
長くこっちにいることを考えれば、仕事を探すためにとりあえずどこかの学校に登録し勉強しないでヤミでもいいから仕事をする、というライフスタイルはやっぱりわたしにはリスキーに見えるし、ぎりぎりのところで勉強頑張りながらこっちで学位を取って仕事につく方がベターに思えるのだ。こっちは学位次第でお給料が全然違う学歴社会なので、日本に帰るししてもこっちに残るにしても学位はあったにこしたことはないんだと思う。
ボスと契約更新について話したとき、「フランス人と結婚する予定はないのかい?」と聞かれた。労働許可証を会社から出すには弁護士を通してかなりの時間とお金がかかるので、苦労せずに労許持ってる人を雇えれば、会社にとってかなり楽。今は法律も厳しくなって10年カードもなかなか出してもらえないというし、まあ結婚が一番の早道なんだけど、「やっと日本の結婚しろ攻撃から逃げ出したのに、こっちでもこれかよ…」とちょっぴりブルーになっちゃった。あはは
パリで仕事:わたし的にもっと貧乏ヒマなし
Sep
久々の更新。何だかほかのことに夢中になっていたり、夏が過ぎ去って悲しくなったり、仕事が忙しくなってきたりしてしばらく経ってしまった。
いよいよ仕事の契約がもうすぐ終わる(日本語の案件がなくなるので更新できないんだそうだ。ガッカリしたがこんなもんよね)ので、今抱えているプロジェクトの最終仕上げ・・・と思ったらあれよあれよという間に仕事倍増!
なぜ、物事というのは同じタイミングで一気に押し寄せてくるのでしょう・・・。
別に仕事が遅くて溜めているわけではなく、物質的に無理めな量が来ちゃった(と、思いたい)ので、たぶん最後まで終わらなくても私は責められないんだと思うが、でも何だか「発つ鳥跡を濁さず」というか、負けず嫌いな性格というか、どうも残していくのは気持ちが悪くて、いま一生懸命に働いている。
その間に何だか客先やら一緒にプロジェクトを進めている人達からがんがんメールも来る。フランス語のメール書くのも遅いが、日本の客先に送る日本語メールの方が時間かかる。フランス語だと、相手は私が日本人なの知ってるからちょっとくらい文法間違えても許してくれるだろうが(実は許してなかったりしてね)、日本の客先には言葉遣いから書き方から完璧に書かないといけない(特に相手が老舗高級ブランドなので怖くてたまらない)。その間に私にあんまり関係ない仕事もやらなきゃいけなくなって、本筋の仕事をする時間が削られ、久しぶりにパンク状態…。
オフィスで「ぎゃー!」と雄叫びをあげたくなったが、一方でこんなに忙しいのもけっこう楽しいかな、とも思う。
わわわ私ってすごい日本人っぽくない?
日本ではフランス人だと罵られ(?)日本人扱いされなかった私だが、外国にいると自分が日本人だとしみじみ思う。
安全で礼儀正しい日本で育って来た日本人には、パリで何をするにも闘わなきゃならない日常生活はけっこう辛いものがある。いつ心休まる日はくるのさ?みたいな。それで、今までの自分の考え方や生き方を軌道修正しなきゃならなかったりするけど、それでも変えたくないと思う部分も多くある。
それは日本人特有のものだけではなく、親から受けた教育とか育った環境で培われた考え方だったりいろいろ。
そういうのをどんな環境のところに行っても絶対に変えないぞ、と思う今日この頃。
そんなこと考えてるうちにまた時間が経ってしまった(何かを創る作業をしているといつも他のこと考えてしまう…小説家や漫画家って大変だな、とまた余計なこと考えてしまうのだった…)!
仕事しないとー(涙)
パリでバーチャル生活:WWF in Second Life
Sep
世界自然保護募金(WWF)がセカンドライフでもエコ提案。是非行ってみたい。
http://www.panda.org/how_you_can_help/games/second_life/
パリで仕事:わたし的に貧乏ヒマなし
Sep
今、大学は夏休み真っ盛りだが、私は日本に帰らずせっせと仕事をしている。
仕事を始めてかれこれ半年。仕事探しは主に日本語新聞で情報収集したが、私はラッキーな方だったと思う。
というのも、学生用の求人はほとんどスタージュ(えっと日本でいうインターン?)で企業で就業経験をつけるためにフルタイム&報酬少しまたは無報酬で働くという募集が多かった。
日本で働いてたけどフランスの企業で働いたことはもちろんなかったので、スタージュで勉強させてもらうのもよかったんだが、フルタイムが条件のところがけっこうあり、そうすると大学にほとんど行けない状態になって本末転倒になるし、授業行かないで進級する自信全くなかったし、何で仕事したいかってやっぱり経済的に足しになることがしたかった。
幸い、2回の面接を受けて雇ってくれるところがあり、ぼーっとしてて雇用形態を聞くの忘れてたら(アルツハイマーとしか思えない)、普通にお給料をくれるという。何という幸運!ここ何年かで一番の幸運に巡り会えたんじゃないかと逆に不安になった(禍福は糾える縄のごとし=人生楽ありゃ苦もあるさ)。
もちろん、EU圏外の学生の就労には時間制限があるので(何か今はお給料の制限もある?)その範囲内の契約。大学の時間割も考慮してもらえた。この国にはアルバイトという観念がないので(そもそもどういう観念かわかんないけど)、Mi-tempsのCDD(Contrat de travail à Durée Déterminée)契約。個人的な実感としては、やっぱ以前に就労経験があった方がいいのかな、と。条件として日本の企業だとかなりの確率で「日本で就労経験ある方」など明記されてるし、フランスの企業にしても学校を卒業したての人はまず取ってくれない。だからスタージュという制度があるんだけど。
お仕事はウェブ(主にネット広告とか)マーケティングのアシスタント。だと思う。業種の定義ってよくわからん。何だかウェブ関係の仕事とは縁がなく、泥臭い仕事ばっかりやってきた(といっても工事現場とかではない)し、こ難しそうで今まで特に興味もなかったので、右も左もわからず今でも何だか必死にやっている。色々とあるのねーネット上のストラテジーってやつが。ちょっと怖いくらい。簡単にフラ語→日本語の翻訳もやらせてもらえるので楽しいんだけど。
しかしやることがたくさんあって、就業時間が足りないくらい。私がとろいのか?
使えないとわかるとすぐに切られてしまうのがこっちの現状なので、もっと頑張らないとな〜。はー。
大学が始まったら2足のワラジ復活。仕事+授業でまたドタバタな毎日が始まるんだろう。
色々と勉強になるっす。ごっつぁんです。
いつもお世話になってます。私が探した求人情報の媒体:
OVNI
フランスニュースダイジェスト
CEFJ(日仏経済交流委員会)
FR Japon
L'Etudiant
パリでROCK! :そりゃないよOasis
Aug
昨日、Rock en Seineというロックフェスに初めて行ってきた。ブローニュの森の一角にステージを3つ設けて行われる、言わばパリのフジロックみたいなもの。
初日の目玉はOasis。私の青春の1ページを飾ってくれたバンドだがライブで見るのは初めて。万感の思いを込めて朝からiPodで曲をおさらいし、家に帰って準備している時も部屋で聴きながらおにぎりを作った(晩ご飯用)。
一緒に行った友人達もまさしくピクニック気分で色々と用意し、楽しみにしてたのに。
2番目の目玉Block Partyも早めに引き上げ、メインステージに戻って待っていたらまさかのキャンセルのアナウンス!
「ノエルとリアムが楽屋でケンカしたので今夜のコンサートはキャンセルになりました」だって。
おいおい、こんな日にケンカなんてしてくれるなよ…。兄弟の仲が悪いのは今に始まったことではないが、プロなんだからコンサートやってくれよう!!!
他の観客もガッカリモードでとぼとぼと帰っていく。
こんなことならBlock Party最後までいればよかった…。いいライブだったのに。
その前に観たMadnessも知らなかったけど、ライブは面白くて、スカってどの国でも日本っぽいリズムになるんだなーと思ったり。トイレの前でよく一緒にバレエに行くアメリカ人の友達にばったり会い、彼女はMadnessを見に旦那さんと来たと言っていた。
と、いうことで
今朝、Oasisキャンセルのニュースが出てるかなとチェックしたら、「ノエル脱退」のニュース。マジで?もう1日だってリアムと仕事したくない!ということらしいが、早く仲直りしてバンドに戻ってねー、とあんまり本気にしていない。
それにしても、パリとOasisは相性が悪い気がする。10年前、私がこっちに住んでいた時、友達がコンサートに行ったが、その時は大雨が原因で機材が届かず本人達は来ていたもののキャンセル。
もうパリで観ることはできないのだろうか…。それにしてもがっかりなRock en Seineだった。こうなったら日曜のThe Prodigy行くか?
ニュース記事:http://www.mtvjapan.com/news/music/16205
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5jnSYW4KyDsiPFfsjReCz84rNQ6Ww
わたし的にパリの話:大福の偉大な存在
Aug
パリの歩道は狭い。雨の日に傘なんかさそうものなら、渋谷のセンター街を傘もってぎゅうぎゅう押し合いへし合いしているような感覚に襲われる。だからこっちでは誰一人傘をささずに濡れているのかもしれない(私の勝手な推測)。
そんな狭い歩道なのに正面から来る人を知覚していても、自分の専有面積を保ったまま突進して来る人が多い。それは私が小柄で弱々しそうに見えるからなのか(例えば「こいつは弱そうだから強気に出ても大丈夫」と思う)、私が小さすぎて見えないのか、はたまた誰に対してもそんな態度なのかは不明。
それはまだいいとして、のらりくらりと歩いている人にはほんとーに困る(特に通勤時間、いつも遅刻ギリギリなので私は急いでいる)。私は追い越そうと頑張るのだが、何せその人の専有面積が私の予想をはるかに超えていて、道の真ん中をのらくらしてるもんだから追い抜くことも出来ない。
そんな時は本で読んだ三段論法を参考に「太っていたら動きが緩慢になって早く歩けない 早く歩けないと筋肉が形成されないので痩せられない 従ってこの人はずっと歩くのが遅く太いままだ」なんて考えながら(失礼なヤツ)、自分の堪忍袋の緒が切れるのを引き延ばしにかかる。
かといって私は必ずしも高速で歩いているワケではないと思う。スポーツと名のつくものが大嫌いな私は、確かに日々の歩きで運動不足を解消しようとガンガン歩く。膝をなるべく曲げないように、股関節からガシガシ歩いて腹筋と背筋とお尻の肉が使われているのを確かめる。しかし、相方と一緒に歩いている時には「オレの後ろを歩くな(ゴルゴ13か)」と怒られ、道ばたで罵り合いを繰り広げることもしょっちゅうある(お互いに沸点が低い)。私は反対から歩いて来る人とぶつかるのを避けるため(誰も向こうから避けてくれないから)、185cmの彼を塗り壁にして歩いて楽しているという面もあるが、やっぱり自分の体格が出せる以上のスピードは出せない、ということになる。
そんな感じで道を歩くにも「うがー!」と奇声を発してしまいそうで、人の多い場所へはいっそう近寄らなくなった私。道でちっこい日本人が眉間にしわを寄せて誰かを追い越そうと辟易していたら、それは私です。
そんな日々のストリートでのイライラを解消すべく、今日はふんぱつして大福を買った。パリ初大福である。理由は自分が和菓子大好き派(従ってフランスのお菓子関係には何の興味もない)であるのと、読んでいた本2冊連続で大福が出てきて(哲学とミステリーなのに何故?)どうしても食べたくなったから。
あーやっぱおうちで大福食べながらお茶してるのが一番幸せ(日本にいる時と全く変わらず)。
わたし的にパリの話:消えるライター
Aug
私はライターをよくなくす。日本にいる時からだったが、それは「色んなところに置き忘れ」、「バッグの奥底にしまい忘れ」などが主な原因だったが、こっちでは「気づいたらライターはこつ然と消えていた」のが大半。
この国ではライターが消えるのか?そんな魔法のライターを販売する国なのか?というと、理由は簡単。「他の人がさっさと自分のポケットに入れてしまう」からなのだ。それは悪気があってやったことではなく、無意識に他人のものも自分のものも区別がつかなくなってとりあえず自分のものにする、という現象らしい。
日本人だと、例えば会社でボールペンを借りた場合、たいていは返すものと思われる。よしんば間違って自分の引き出しに入れてしまっても、後日「あれ?これ私のじゃないな」と気づくものだ。(まあ、それでそのまま使ってしまってかれこれ何年…ということもあり得るが←少なくとも私にはあり得る)
しかし、この国ではあんまりそういうのが通用しない。極端にいえば「オレのものはオレのもの。お前のものはオレのもの」のジャイアン状態。それが無意識だから直しようもない。
この現象に気づいたのは大学時代にさかのぼる。幼少時代をフランスで過ごした帰国子女の友達にある日消しゴムをかした。「ありがとー」と言って彼女は去っていったっきり、私の消しゴムは無言のまま養子にもらわれていった。彼女は決してだらしない性格ではなく、どっちかというとしっかりしていて律儀な方だった。なのに、である。別の友達には「フランス人ってそういうとこあるから、何か貸したらちゃんと返してって言わないとダメだよ」と言われた。
でも、フランス人の子供を見ていると話始めの頃にまず覚えるのは「C'est à moi!(これはわたしのもの!)」だという気がしてならない。試しに子供の遊び場のある公園で観察して欲しい。絶対に1組はおもちゃの取り合いで激闘している子供達がいる。お互いに「C'est à moi!」の応戦が続くが、そういう場合そのおもちゃは第3者の全然関係ない子のだったりする。
子供の頃から所有欲は養われるが、他人のものと区別する判断力は育たない…ってことか?
と、いうことでそれからライターをなくしても大して気にしないことにした(ずっと前からもう気にしてなかった気もする)。ライターがなくなったら隣にいる友達のを失敬すればいい。しかし、私の中にはちゃんと「これは私のライターではない」という意識がちゃんとある。世間一般でいう「泥棒の端くれ」なのかもしれない…。
わたし的にパリの話:スーパーで立ち話
Aug
うちの近くはスーパーが3軒あってとっても便利。
その中でも一番安いと思われるスーパーに通い出してしばらくした頃、レジのお姉さんに話しかけられた。彼女はモンゴル人で、何でも日本で日本語を2年間勉強したことがあるそうだ。
日本語話せるのにスーパーのレジで働いているのもこの国の大変な労働事情を伺わせる(と勝手に推測)。とにかくそれから会う度に挨拶したり、ちょこっと話したり。
彼女は私が帰る時かならず日本語で「お疲れ様でした〜」と言う。何かこんなところで日本語聞くのもいいな、と思い私も簡単な日本語とフランス語を交えて話す。
そういえば何年か前、築地に勤めていた時、たまに食べに行っていた市場の食堂のおばちゃんもいつも私達が入ってきたら「お疲れさまー」、ご飯が終わって出ようとすると「また頑張ってねー」と声をかけてくれた。私は勝手に「癒し系おばちゃん」と名付けていたが、何だかこの時のことを思い出す。あー癒された日々。
今日は真っ昼間で他に客もいなかったので、レジで朝青龍の話をした。といっても私は名前と怪我したとか何とかそういうことしか知らないので、お姉さんに彼はどんな人と結婚したとか教わった感じ。他にもモンゴル人力士の名前が出たが、私にはちんぷんかんぷん。「へえーほおー」とうなづくに留まった。←得意技はわかったフリ。
近所に知ってる人が出来るのは楽しい。こっちはまだ近所付き合いというものがわずかながら残ってるし、フランス人は誰彼捕まえては話し出す口から生まれた国民(言い過ぎか?)。まあ私ら2人はフランス人じゃないんだけれども、そんな雰囲気の中で外国人として暮らす大変さを分かち合える喋り友達が出来てスーパー通いも楽しくなった。
パリ留学:不思議な滞在許可証の話。
Aug
外国に住むと、とにもかくにも悩まされるであろう滞在許可証。
パリでは、窓口の係員によって与えられる滞在期間が違うという摩訶不思議な現象が起こる。私は学生の滞在許可証の場合しか知らないが、特にこの学生窓口はクセのある人が勢揃いらしい。
初めて滞在許可証の更新に行った時、大学の証明書等を持って行ったのに、何故かフランス語の語学学校と勘違いされ6ヶ月しかもらえなかった。ちなみに他の同級生はちゃんと1年もらっていた。窓口のおっとこらしいお姉さんに「あのー私が通うとこは大学なんですけど」と腰低く抗議するもいきなり逆切れされた。「あー今日は変なのばっかりに当たって最低!」とまで毒づく始末。学生の滞在許可証扱ってるくせに、大学の名前もろくすっぽ知らない方がよっぽどオカしいと思うが、ここは友好的に何度も説明しようと試みたが相手は怒りが増すだけで何にも聞いてない。っつーか喋るのやめて少しでもいいから人の言い分を聞いてくれよ。私並みに話を聞かない(小学生のときから人の話を聞かないと有名)相手を前にして、早くもエネルギー消耗して胸のランプがピコピコ鳴るので仕方なく帰った。
結局半年後にまた更新手続きをして無事今に至る。
ちなみに、この時の怖いお姉さんには私の友達もひどい目にあっていて、バイトの契約書に不備があるだの何だのと言うことで何度も通わせられていた。
もう1つ、驚きだったのは、彼らが全くのマニュアルで仕事しているということ。私達の基本情報は全部パソコンに入力しているが、カードが出来上がって(およそ1ヶ月待たされる)取りに行った時に、名前だか番号だかを頼りにシルバーの職員ロッカーみたいなものの扉を開け、1人ずつご丁寧に紙の書類を探して山積みにし、名前を呼んでカードを渡す、という場面にビックリした。更新するたびに同じ書類を渡され、いちいちその場で今までの経歴を書かされるし。こんなにうさん臭い仕事の仕方をしてるのにはきっと大切なワケがあるのだろう…。このエコ時代にあの大量の紙を消費しているには絶対にワケがある!そうじゃないと納得できなくて夜も眠れない。
ある時には、更新には大学の時間割も証明書にして大学からもらって来いと言われたり。確かに、長期滞在の学生は週20時間以上お勉強する決まりになっているが、必修の授業でぎっちぎちな大学の授業数は生徒が変えられるものじゃないし。しかも絶対20時間以上授業つまってるし。語学学校ならわかるけど、とにかくワケがわからない。
しかしこの国で「どうして、どのように」を考えてみたところで『考える人』のように考えたまま二度と立ち上がれなくなってしまうので、とにかく流れに乗って上手くいき抜くほかない、と思う今日この頃。
そんなこと言いながらまた更新が迫ってきて、昨日予約をとったところだが、毎日清く正しく生きてイージーゴーイングでステキな窓口担当者に当たるのを祈る毎日なのであった。神頼みかよ。
パリ留学:わたし的にキツかった大学登録手続きの話
Aug
大学の申請書類は2008年4月末頃出した。こちらは書類審査で合否が決まるので入試というものがない。私は日本で大学を卒業しているので、バカロレアの代わりに日本での大学卒業証明書を出した。ちなみに、私の大学では英語の証明書も発行してくれ、語学学校でも大学でも英語の証明書で大丈夫だった。法定翻訳をしなくてもいいので大助かり。
申請書類は大学のセクレタリアへ直接もらいに行き(書類をもらうだけでも長蛇の列に出会ってしまう)、書類に記入して必要書類とともに提出しに行く。外国人はフランス語のレベルを証明するもの(DELF/DALFとかTCFの成績)を持って行かなければならない。私は自慢じゃないがその種のテストを受けたことがなかったので、書類を提出した後、申請先の大学でTCFを6月末に受けさせてもらうことになった。
でも一発本番でこの得体の知れないテストを受けるのが怖かったので、5月末に自分でTCFを受けた。この日はちょうどソルボンヌのディプロム取得のための口頭試験が午前中からあり、「カルメン」について適当に答えた後、TCFの会場へ。ソルボンヌの試験のお陰で必死に勉強していたので結局このTCFは予想より結果が良くてビックリ。
そしてわずか1ヶ月後の6月末、朝っぱらから訳のわからない郊外の校舎でいよいよ本番のTCFを受けることとなった。一瞬「ま、まさか受かったらこんな遠いところで勉強させられるのか?」とビクビクしていたが、この校舎に行ったのはその日限り(ほっ)。2週間ほどで結果が来たが、やっぱり前月の成績は神様からのボーナスだったのだとわかった。どうせなら本番でボーナス出して欲しかったけど。
TCFの結果が来たはいいが、大学に入れるかどうかのお返事が待てども来ず。9月末には滞在許可証の更新もあったので、係の人に「いつ頃結果はわかるんでしょーか?」と聞きにいったら「うーんと、9月の中旬から月末にかけてかな〜」と呑気に言われた。「あの…滞在許可証が9月末に切れるので困っちゃうんですが」と言ったら「あら〜それは大変だねえ。早く来るといいねえ〜」だって。しょうがないので「まっいっか」と気長に待つことにした。
そうしたら何とか9月中旬過ぎに入学許可のお知らせが来て、しかし登録手続きの期限が間近に迫っていたので(何故この国はいつもぎりぎりなのだ?)、急いで登録しにセクレタリアへ赴いた。そうしたらまた申請書類を渡されて「明日以降のランデブーを取ってから来てね」。この国では諸手続きは決して1日で終わらないことに気づき始める。仕方がないので翌日のランデブーを取り、翌日、長蛇の列に並んで(ランデブーを取ったのに関わらず)学費を払い、証明写真をホチキスで留めただけの紙の学生証をもらって(国立大学はお金がない)家路へ…。
と、ここでまだ終わってなかった。
総合的な大学の事務室で学費を払って学生情報を入力したのはInscription administrativeといい、次は自分の学科事務室でInscription pédagogiqueというのをやらなければならない。でも何の資料も渡されてないし、一体全体そのペダゴジックとやらで何をしたらいいのかなーんにもわからない。さすがに「まっいっか」とは言っていられなくなり、学科事務室へ電話してみた。そしたら「こっちへきてプランニングを提出して下さい」という。プププランニング?「あのーそのプランニングとやらはどこでもらえるんでしょう?」と聞いたけど、何だかさっぱり要領を得ない。崖っぷちに立たされて助っ人(フランス人)を投入したら「時間割(プランニング)を決めなきゃいけないので、学科事務所まで行き、それからフランス語の授業も取らないといけないので(外国人は必修)それは別校舎の事務所へ行くように」ということがわかった。
それ以上のことは助っ人も全然わからなかったとのたまうので、とりあえず案内された学科事務室へ行ってみる。そしたら事務室のお姉さんは親切に授業のリストの貼ってある場所を教えてくれた。どうやらこのリストを見ながら自分で時間割を作り、それを登録してちょ、ということらしい。自分の取らなければならない授業のリストと、掲示板のリストとにらめっこし、周りのフランス人に質問しまくって(でも誰も自分たちが何をしているのかわかっておらず。)2時間後に時間割作成完了。次は登録の長蛇の列に(またか)並び、2時間くらい待って登録できた。帰る頃にはとっぷり日も暮れ、まだ始まってもいないのに訳のわからない達成感を感じた記憶がある。
今思うとどうってことない感じがするが、その時はフランスの学校の仕組みや手続き関係のことなど何にも知らなかったので、毎日胃の痛い思いだった。はーこれでまた学んだね。何をここで学んだのかは定かじゃないが。
ちなみに、私はもう1つ別の大学に応募してこちらも入学許可が来たが、授業の内容を見に行ってみたらセクレタリアの人に「登録は今日までなのよ!あなた今まで何してたの?!キー!」と怒られ(でも入学許可の手紙が来たのはその前日)、おまけに私の専攻の記述に間違いがあって(セクレタリアが間違えた)自分の学科を探すのにでさえ時間がかかり、やっと見つけたと思ったら必修科目に「ギリシャ語、チェコ語、アラブ語、イタリア語、なんとか語(見たことも聞いたこともない)から1つ選べ」と書いてあって、一気にやる気が失せ、私のなけなしのお金(学費)がこのぞんざいなセクレタリアの人達の生活を支えるのかと思ったら寒気がしてきて、優しく処理も早かった(この国の他の事務作業との相対性理論で)今の大学に行くことに決めたのだった。やっぱ勉強も仕事も環境が一番さ、と思って。
わたし的にパリの話 : パリの多様性
Aug
パリに来て1年半あまり。昔一度留学していただけあってその頃からの友達もいるし、どこに何があるかなどだいたい把握しているので、いきなりパリに来ちゃったところでそんなに困ることはなかった(ありがたや〜)が、学生の時と今とでは時間の流れ方が違うというか、世界と関わる「濃さ」が違う気がする。
何かの本で「パリほど日本人の持つイメージと現実のギャップが大きい街はないのではないか」と言っていたが、実際そうだと思う。「ファッションの街」と言ってもすごくオシャレなのはファッション関係者くらいだし、「アムールの都」といってもそんなステキなアムールはそこらへんに転がっていない(代わりにかるーいナンパ野郎はそこらへんに転がっている)。
パリは東京の山手線の輪の中にすっぽり入るほど小さな首都だが、この狭いところに色々な人種が暮らしている。NYも真っ青のメルティング・ポット状態(実際、NY同様"melting"はしてなくて住み分けがなされてるが)。東京ほどバラエティーはないものの、移民の数ほど美味しい各国料理が楽しめる。外国人だけではなく、もちろんフランス地方出身者もたくさんいるので、様々なアクセントのフランス語が聞こえてくる。
私はまだ標準フランス語以外のフランス語を理解できる耳が出来上がっていない。つまり生活していて1/3、へたしたら1/2くらいの人のフランス語はまだ聞き取れない状態。メトロで電話している人が話している言語が最後の方でやっと「げっ今のフランス語か?!」と気づくこともあるし、道を聞かれて(何故私に聞く?)おばさんの言ってることがさーっぱりわからなかったり。特に私の住んでいる20区あたりでは私のわからないフランス語で話す人が多いので、もう外国語だと思い込むようにしている。←いいのか?
大学の先生でも、もろ南訛りの人もいるし、語学学校を卒業して以来、私の理解できるフランス語が私の生活から激減してしまった気もする。今のところ、南訛りの理解はマスターしつつあり、TVを見ていて南訛りの物まねを披露できるくらいまでいった(特にサッカー解説者のDaniel Bravo)。つまりphonetiqueでいうvoylelle nasale(鼻母音)を発音しなければいいのだ。しかし「南訛り」というのはマスターしやすいのだろうか?思えば、英語でも私は南部訛りの物まねをやっていた覚えがある(披露するのは勘弁して)。
そういえば私は生粋のパリジャンに会った覚えがない。「生粋のパリジャン」というのは江戸っ子みたいに3世代住まないと認定されないものなのかどうかわからないが、とにかく、パリ市内で生まれたが物価が高くてすぐに親が郊外に移り住み郊外育ちとか、そういう人しか知らない。ちなみにそういう人に限って「僕はパリ生まれだ」と言い張るので可笑しくなる。はいはい。
実際に会ってはないが、友達(アメリカ人)の友達の親が両方ともGoncourtで生まれ育ち、今でもそこのアパルトマンに住んでいて「昔からするとGoncourtもだいぶ変わったのう」なんて話していた、というのを聞いたことはある。とすると、私の友達の友達は少なくともGoncourtに生まれ育って3代目だから、生粋のパリジャンと言えると思う(江戸っ子の定義を当てはめた場合)。一度、パリに遊びにきたアメリカ人の友達に会いに、その友達(あ、こんがらかってきた)がご両親から譲り受けたというアパルトマン(両親は上の階に住んでいる)に伺ったことがあるが、大アパートという訳ではないけど、とても住みやすそうで感じのいいところだった。
学生の頃は観光気分でわいわいと毎日放課後にはどこかしらに出かけ、パリの観光名所はほとんど網羅したものだが(晩ご飯後に散歩に行きたくなり、ベルサイユ宮殿まで出かけ閉園時間になって危うく係のおじさんに門を閉められるところだった、という無謀な話もある)、現在はその頃には気づかなかったそんなパリの奥深さに「ほっほー」と感慨深い思い(観光地に行く気力と体力を失ったとも言える)。
私も自分の九州訛りをもう一度見直そうかと思い、相方相手に長崎弁で喋りかけたりしてみるが、ただでさえ日本語でまくしたてられると全くわからないのに加え、さらに宇宙語みたいなイントネーションと語尾をくっつけて話しかけられるので、さすがの相方(最近日本語の勉強頑張っている)も「やめてくれ…」とダメ出し。よかたいー長崎弁の日本語ば勉強するとも面白かとに。
これまでのあらすじ
Aug
パリに来たのは2008年1月末。フランス語は大学のフランス語学科入学から始まり、1年間パリに語学留学したので、パリには「出戻り」ということになる(何年ぶりかは聞かないで欲しい)。何だかプチ隠居したい気持ちもあり、そして将来日本語、英語、フランス語のトリリンガルを目指そうかと(夢はでっかく)何と半年ほどで準備し、地獄の引越しを乗り越え、あれよあれよという間にパリに来た。日本にいた頃はフラ語はほとんど使っていなかったのもあって(+大学時代、毎年留年に怯える日々だったほどの語学力だったものあって)、来た時には文法がすっかり抜けていた。
喋りは幸い日常会話が何となく(デタラメでもいいのでデタラメに喋る姿勢)維持できていたので、最初の語学学校で「あなたの文法とオーラルの実力の違いは何?!」とレベルテストの先生に驚かれた。それほど文法のテストが散々だったのだと思う。
パリに来てからの計画は「半年は語学学校→その後大学に入る」というものだった。その頃はフランスの大学の入り方も知らず、日本でフラ語の勉強に励んでいた訳でもなく、我ながら崖っぷちなプランニングだが、人間追いつめられると意外な力を発揮するものなのだ。
そこで最初の学校では週25Hの集中コースを選択。学校はソルボンヌの外国人講座で、日本で各語学学校の授業料と履修期間をエクセルに記入し、徹底的に価格比較を行った結果だった。昔、パリカト(パリカトリック学院)に通っていて、スパルタだがとてもよかったので本当は「パリカト…」と思っていたけど、授業料がハンパなく高くて(私的に)とても手が届かなかった(涙)
結局、私はAvancéのクラスに入れられ、毎週テストと恐ろしく早口の発音矯正と「こんなんじゃディプロム(学期末テストに合格したら出るソルボンヌの修了書)は取れないわよ!」という恐怖の決め言葉に背中を押され(でも先生はいい人で好きだった)、半年で学べる文法はだいたい勉強した(と思う)。夏期講座は夏期講座でSuperieurのクラスに上がり、ひたすら接続法、接続法半過去、構文法を習い、「こんなもの実際の生活で使えるかー!」と思っていたら、なるほど今の大学生活では使っている(恐怖の論文で)。あの時、プルーストについて書けと言う課題(もちろん接続法のオンパレード)が出た時に、やけくそで「私がプルーストを嫌いな理由」を羅列し、「だからプルーストについては書きたくありません」と書いてごめんなさい。それでも面白がってくれた先生のユーモアに感謝。
お陰で大学登録に必要なTCFを受け、何とかB2を取れたので2008年9月には怒濤の大学入学へと続く。(疲れちゃったので本当に「つづく」…)