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パリでROCK! :そりゃないよOasis

昨日、Rock en Seineというロックフェスに初めて行ってきた。ブローニュの森の一角にステージを3つ設けて行われる、言わばパリのフジロックみたいなもの。

初日の目玉はOasis。私の青春の1ページを飾ってくれたバンドだがライブで見るのは初めて。万感の思いを込めて朝からiPodで曲をおさらいし、家に帰って準備している時も部屋で聴きながらおにぎりを作った(晩ご飯用)。

一緒に行った友人達もまさしくピクニック気分で色々と用意し、楽しみにしてたのに。

2番目の目玉Block Partyも早めに引き上げ、メインステージに戻って待っていたらまさかのキャンセルのアナウンス!

「ノエルとリアムが楽屋でケンカしたので今夜のコンサートはキャンセルになりました」だって。

おいおい、こんな日にケンカなんてしてくれるなよ…。兄弟の仲が悪いのは今に始まったことではないが、プロなんだからコンサートやってくれよう!!!

他の観客もガッカリモードでとぼとぼと帰っていく。

こんなことならBlock Party最後までいればよかった…。いいライブだったのに。

その前に観たMadnessも知らなかったけど、ライブは面白くて、スカってどの国でも日本っぽいリズムになるんだなーと思ったり。トイレの前でよく一緒にバレエに行くアメリカ人の友達にばったり会い、彼女はMadnessを見に旦那さんと来たと言っていた。

と、いうことで

今朝、Oasisキャンセルのニュースが出てるかなとチェックしたら、「ノエル脱退」のニュース。マジで?もう1日だってリアムと仕事したくない!ということらしいが、早く仲直りしてバンドに戻ってねー、とあんまり本気にしていない。

それにしても、パリとOasisは相性が悪い気がする。10年前、私がこっちに住んでいた時、友達がコンサートに行ったが、その時は大雨が原因で機材が届かず本人達は来ていたもののキャンセル。

もうパリで観ることはできないのだろうか…。それにしてもがっかりなRock en Seineだった。こうなったら日曜のThe Prodigy行くか?

ニュース記事:http://www.mtvjapan.com/news/music/16205
http://www.google.com/hostednews/afp/article/ALeqM5jnSYW4KyDsiPFfsjReCz84rNQ6Ww

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わたし的にパリの話:大福の偉大な存在



パリの歩道は狭い。雨の日に傘なんかさそうものなら、渋谷のセンター街を傘もってぎゅうぎゅう押し合いへし合いしているような感覚に襲われる。だからこっちでは誰一人傘をささずに濡れているのかもしれない(私の勝手な推測)。

そんな狭い歩道なのに正面から来る人を知覚していても、自分の専有面積を保ったまま突進して来る人が多い。それは私が小柄で弱々しそうに見えるからなのか(例えば「こいつは弱そうだから強気に出ても大丈夫」と思う)、私が小さすぎて見えないのか、はたまた誰に対してもそんな態度なのかは不明。

それはまだいいとして、のらりくらりと歩いている人にはほんとーに困る(特に通勤時間、いつも遅刻ギリギリなので私は急いでいる)。私は追い越そうと頑張るのだが、何せその人の専有面積が私の予想をはるかに超えていて、道の真ん中をのらくらしてるもんだから追い抜くことも出来ない。

そんな時は本で読んだ三段論法を参考に「太っていたら動きが緩慢になって早く歩けない 早く歩けないと筋肉が形成されないので痩せられない 従ってこの人はずっと歩くのが遅く太いままだ」なんて考えながら(失礼なヤツ)、自分の堪忍袋の緒が切れるのを引き延ばしにかかる。

かといって私は必ずしも高速で歩いているワケではないと思う。スポーツと名のつくものが大嫌いな私は、確かに日々の歩きで運動不足を解消しようとガンガン歩く。膝をなるべく曲げないように、股関節からガシガシ歩いて腹筋と背筋とお尻の肉が使われているのを確かめる。しかし、相方と一緒に歩いている時には「オレの後ろを歩くな(ゴルゴ13か)」と怒られ、道ばたで罵り合いを繰り広げることもしょっちゅうある(お互いに沸点が低い)。私は反対から歩いて来る人とぶつかるのを避けるため(誰も向こうから避けてくれないから)、185cmの彼を塗り壁にして歩いて楽しているという面もあるが、やっぱり自分の体格が出せる以上のスピードは出せない、ということになる。

そんな感じで道を歩くにも「うがー!」と奇声を発してしまいそうで、人の多い場所へはいっそう近寄らなくなった私。道でちっこい日本人が眉間にしわを寄せて誰かを追い越そうと辟易していたら、それは私です。

そんな日々のストリートでのイライラを解消すべく、今日はふんぱつして大福を買った。パリ初大福である。理由は自分が和菓子大好き派(従ってフランスのお菓子関係には何の興味もない)であるのと、読んでいた本2冊連続で大福が出てきて(哲学とミステリーなのに何故?)どうしても食べたくなったから。

あーやっぱおうちで大福食べながらお茶してるのが一番幸せ(日本にいる時と全く変わらず)。

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わたし的にパリの話:消えるライター

私はライターをよくなくす。日本にいる時からだったが、それは「色んなところに置き忘れ」、「バッグの奥底にしまい忘れ」などが主な原因だったが、こっちでは「気づいたらライターはこつ然と消えていた」のが大半。

この国ではライターが消えるのか?そんな魔法のライターを販売する国なのか?というと、理由は簡単。「他の人がさっさと自分のポケットに入れてしまう」からなのだ。それは悪気があってやったことではなく、無意識に他人のものも自分のものも区別がつかなくなってとりあえず自分のものにする、という現象らしい。

日本人だと、例えば会社でボールペンを借りた場合、たいていは返すものと思われる。よしんば間違って自分の引き出しに入れてしまっても、後日「あれ?これ私のじゃないな」と気づくものだ。(まあ、それでそのまま使ってしまってかれこれ何年…ということもあり得るが←少なくとも私にはあり得る)

しかし、この国ではあんまりそういうのが通用しない。極端にいえば「オレのものはオレのもの。お前のものはオレのもの」のジャイアン状態。それが無意識だから直しようもない。

この現象に気づいたのは大学時代にさかのぼる。幼少時代をフランスで過ごした帰国子女の友達にある日消しゴムをかした。「ありがとー」と言って彼女は去っていったっきり、私の消しゴムは無言のまま養子にもらわれていった。彼女は決してだらしない性格ではなく、どっちかというとしっかりしていて律儀な方だった。なのに、である。別の友達には「フランス人ってそういうとこあるから、何か貸したらちゃんと返してって言わないとダメだよ」と言われた。

でも、フランス人の子供を見ていると話始めの頃にまず覚えるのは「C'est à moi!(これはわたしのもの!)」だという気がしてならない。試しに子供の遊び場のある公園で観察して欲しい。絶対に1組はおもちゃの取り合いで激闘している子供達がいる。お互いに「C'est à moi!」の応戦が続くが、そういう場合そのおもちゃは第3者の全然関係ない子のだったりする。

子供の頃から所有欲は養われるが、他人のものと区別する判断力は育たない…ってことか?

と、いうことでそれからライターをなくしても大して気にしないことにした(ずっと前からもう気にしてなかった気もする)。ライターがなくなったら隣にいる友達のを失敬すればいい。しかし、私の中にはちゃんと「これは私のライターではない」という意識がちゃんとある。世間一般でいう「泥棒の端くれ」なのかもしれない…。

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わたし的にパリの話:スーパーで立ち話

うちの近くはスーパーが3軒あってとっても便利。

その中でも一番安いと思われるスーパーに通い出してしばらくした頃、レジのお姉さんに話しかけられた。彼女はモンゴル人で、何でも日本で日本語を2年間勉強したことがあるそうだ。

日本語話せるのにスーパーのレジで働いているのもこの国の大変な労働事情を伺わせる(と勝手に推測)。とにかくそれから会う度に挨拶したり、ちょこっと話したり。

彼女は私が帰る時かならず日本語で「お疲れ様でした〜」と言う。何かこんなところで日本語聞くのもいいな、と思い私も簡単な日本語とフランス語を交えて話す。

そういえば何年か前、築地に勤めていた時、たまに食べに行っていた市場の食堂のおばちゃんもいつも私達が入ってきたら「お疲れさまー」、ご飯が終わって出ようとすると「また頑張ってねー」と声をかけてくれた。私は勝手に「癒し系おばちゃん」と名付けていたが、何だかこの時のことを思い出す。あー癒された日々。

今日は真っ昼間で他に客もいなかったので、レジで朝青龍の話をした。といっても私は名前と怪我したとか何とかそういうことしか知らないので、お姉さんに彼はどんな人と結婚したとか教わった感じ。他にもモンゴル人力士の名前が出たが、私にはちんぷんかんぷん。「へえーほおー」とうなづくに留まった。←得意技はわかったフリ。

近所に知ってる人が出来るのは楽しい。こっちはまだ近所付き合いというものがわずかながら残ってるし、フランス人は誰彼捕まえては話し出す口から生まれた国民(言い過ぎか?)。まあ私ら2人はフランス人じゃないんだけれども、そんな雰囲気の中で外国人として暮らす大変さを分かち合える喋り友達が出来てスーパー通いも楽しくなった。

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パリ留学:不思議な滞在許可証の話。

外国に住むと、とにもかくにも悩まされるであろう滞在許可証。

パリでは、窓口の係員によって与えられる滞在期間が違うという摩訶不思議な現象が起こる。私は学生の滞在許可証の場合しか知らないが、特にこの学生窓口はクセのある人が勢揃いらしい。

初めて滞在許可証の更新に行った時、大学の証明書等を持って行ったのに、何故かフランス語の語学学校と勘違いされ6ヶ月しかもらえなかった。ちなみに他の同級生はちゃんと1年もらっていた。窓口のおっとこらしいお姉さんに「あのー私が通うとこは大学なんですけど」と腰低く抗議するもいきなり逆切れされた。「あー今日は変なのばっかりに当たって最低!」とまで毒づく始末。学生の滞在許可証扱ってるくせに、大学の名前もろくすっぽ知らない方がよっぽどオカしいと思うが、ここは友好的に何度も説明しようと試みたが相手は怒りが増すだけで何にも聞いてない。っつーか喋るのやめて少しでもいいから人の言い分を聞いてくれよ。私並みに話を聞かない(小学生のときから人の話を聞かないと有名)相手を前にして、早くもエネルギー消耗して胸のランプがピコピコ鳴るので仕方なく帰った。

結局半年後にまた更新手続きをして無事今に至る。

ちなみに、この時の怖いお姉さんには私の友達もひどい目にあっていて、バイトの契約書に不備があるだの何だのと言うことで何度も通わせられていた。

もう1つ、驚きだったのは、彼らが全くのマニュアルで仕事しているということ。私達の基本情報は全部パソコンに入力しているが、カードが出来上がって(およそ1ヶ月待たされる)取りに行った時に、名前だか番号だかを頼りにシルバーの職員ロッカーみたいなものの扉を開け、1人ずつご丁寧に紙の書類を探して山積みにし、名前を呼んでカードを渡す、という場面にビックリした。更新するたびに同じ書類を渡され、いちいちその場で今までの経歴を書かされるし。こんなにうさん臭い仕事の仕方をしてるのにはきっと大切なワケがあるのだろう…。このエコ時代にあの大量の紙を消費しているには絶対にワケがある!そうじゃないと納得できなくて夜も眠れない。

ある時には、更新には大学の時間割も証明書にして大学からもらって来いと言われたり。確かに、長期滞在の学生は週20時間以上お勉強する決まりになっているが、必修の授業でぎっちぎちな大学の授業数は生徒が変えられるものじゃないし。しかも絶対20時間以上授業つまってるし。語学学校ならわかるけど、とにかくワケがわからない。

しかしこの国で「どうして、どのように」を考えてみたところで『考える人』のように考えたまま二度と立ち上がれなくなってしまうので、とにかく流れに乗って上手くいき抜くほかない、と思う今日この頃。

そんなこと言いながらまた更新が迫ってきて、昨日予約をとったところだが、毎日清く正しく生きてイージーゴーイングでステキな窓口担当者に当たるのを祈る毎日なのであった。神頼みかよ。

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パリ留学:わたし的にキツかった大学登録手続きの話


大学の申請書類は2008年4月末頃出した。こちらは書類審査で合否が決まるので入試というものがない。私は日本で大学を卒業しているので、バカロレアの代わりに日本での大学卒業証明書を出した。ちなみに、私の大学では英語の証明書も発行してくれ、語学学校でも大学でも英語の証明書で大丈夫だった。法定翻訳をしなくてもいいので大助かり。

申請書類は大学のセクレタリアへ直接もらいに行き(書類をもらうだけでも長蛇の列に出会ってしまう)、書類に記入して必要書類とともに提出しに行く。外国人はフランス語のレベルを証明するもの(DELF/DALFとかTCFの成績)を持って行かなければならない。私は自慢じゃないがその種のテストを受けたことがなかったので、書類を提出した後、申請先の大学でTCFを6月末に受けさせてもらうことになった。

でも一発本番でこの得体の知れないテストを受けるのが怖かったので、5月末に自分でTCFを受けた。この日はちょうどソルボンヌのディプロム取得のための口頭試験が午前中からあり、「カルメン」について適当に答えた後、TCFの会場へ。ソルボンヌの試験のお陰で必死に勉強していたので結局このTCFは予想より結果が良くてビックリ。

そしてわずか1ヶ月後の6月末、朝っぱらから訳のわからない郊外の校舎でいよいよ本番のTCFを受けることとなった。一瞬「ま、まさか受かったらこんな遠いところで勉強させられるのか?」とビクビクしていたが、この校舎に行ったのはその日限り(ほっ)。2週間ほどで結果が来たが、やっぱり前月の成績は神様からのボーナスだったのだとわかった。どうせなら本番でボーナス出して欲しかったけど。

TCFの結果が来たはいいが、大学に入れるかどうかのお返事が待てども来ず。9月末には滞在許可証の更新もあったので、係の人に「いつ頃結果はわかるんでしょーか?」と聞きにいったら「うーんと、9月の中旬から月末にかけてかな〜」と呑気に言われた。「あの…滞在許可証が9月末に切れるので困っちゃうんですが」と言ったら「あら〜それは大変だねえ。早く来るといいねえ〜」だって。しょうがないので「まっいっか」と気長に待つことにした。

そうしたら何とか9月中旬過ぎに入学許可のお知らせが来て、しかし登録手続きの期限が間近に迫っていたので(何故この国はいつもぎりぎりなのだ?)、急いで登録しにセクレタリアへ赴いた。そうしたらまた申請書類を渡されて「明日以降のランデブーを取ってから来てね」。この国では諸手続きは決して1日で終わらないことに気づき始める。仕方がないので翌日のランデブーを取り、翌日、長蛇の列に並んで(ランデブーを取ったのに関わらず)学費を払い、証明写真をホチキスで留めただけの紙の学生証をもらって(国立大学はお金がない)家路へ…。


と、ここでまだ終わってなかった。


総合的な大学の事務室で学費を払って学生情報を入力したのはInscription administrativeといい、次は自分の学科事務室でInscription pédagogiqueというのをやらなければならない。でも何の資料も渡されてないし、一体全体そのペダゴジックとやらで何をしたらいいのかなーんにもわからない。さすがに「まっいっか」とは言っていられなくなり、学科事務室へ電話してみた。そしたら「こっちへきてプランニングを提出して下さい」という。プププランニング?「あのーそのプランニングとやらはどこでもらえるんでしょう?」と聞いたけど、何だかさっぱり要領を得ない。崖っぷちに立たされて助っ人(フランス人)を投入したら「時間割(プランニング)を決めなきゃいけないので、学科事務所まで行き、それからフランス語の授業も取らないといけないので(外国人は必修)それは別校舎の事務所へ行くように」ということがわかった。

それ以上のことは助っ人も全然わからなかったとのたまうので、とりあえず案内された学科事務室へ行ってみる。そしたら事務室のお姉さんは親切に授業のリストの貼ってある場所を教えてくれた。どうやらこのリストを見ながら自分で時間割を作り、それを登録してちょ、ということらしい。自分の取らなければならない授業のリストと、掲示板のリストとにらめっこし、周りのフランス人に質問しまくって(でも誰も自分たちが何をしているのかわかっておらず。)2時間後に時間割作成完了。次は登録の長蛇の列に(またか)並び、2時間くらい待って登録できた。帰る頃にはとっぷり日も暮れ、まだ始まってもいないのに訳のわからない達成感を感じた記憶がある。

今思うとどうってことない感じがするが、その時はフランスの学校の仕組みや手続き関係のことなど何にも知らなかったので、毎日胃の痛い思いだった。はーこれでまた学んだね。何をここで学んだのかは定かじゃないが。

ちなみに、私はもう1つ別の大学に応募してこちらも入学許可が来たが、授業の内容を見に行ってみたらセクレタリアの人に「登録は今日までなのよ!あなた今まで何してたの?!キー!」と怒られ(でも入学許可の手紙が来たのはその前日)、おまけに私の専攻の記述に間違いがあって(セクレタリアが間違えた)自分の学科を探すのにでさえ時間がかかり、やっと見つけたと思ったら必修科目に「ギリシャ語、チェコ語、アラブ語、イタリア語、なんとか語(見たことも聞いたこともない)から1つ選べ」と書いてあって、一気にやる気が失せ、私のなけなしのお金(学費)がこのぞんざいなセクレタリアの人達の生活を支えるのかと思ったら寒気がしてきて、優しく処理も早かった(この国の他の事務作業との相対性理論で)今の大学に行くことに決めたのだった。やっぱ勉強も仕事も環境が一番さ、と思って。

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わたし的にパリの話 : パリの多様性


パリに来て1年半あまり。昔一度留学していただけあってその頃からの友達もいるし、どこに何があるかなどだいたい把握しているので、いきなりパリに来ちゃったところでそんなに困ることはなかった(ありがたや〜)が、学生の時と今とでは時間の流れ方が違うというか、世界と関わる「濃さ」が違う気がする。

何かの本で「パリほど日本人の持つイメージと現実のギャップが大きい街はないのではないか」と言っていたが、実際そうだと思う。「ファッションの街」と言ってもすごくオシャレなのはファッション関係者くらいだし、「アムールの都」といってもそんなステキなアムールはそこらへんに転がっていない(代わりにかるーいナンパ野郎はそこらへんに転がっている)。

パリは東京の山手線の輪の中にすっぽり入るほど小さな首都だが、この狭いところに色々な人種が暮らしている。NYも真っ青のメルティング・ポット状態(実際、NY同様"melting"はしてなくて住み分けがなされてるが)。東京ほどバラエティーはないものの、移民の数ほど美味しい各国料理が楽しめる。外国人だけではなく、もちろんフランス地方出身者もたくさんいるので、様々なアクセントのフランス語が聞こえてくる。

私はまだ標準フランス語以外のフランス語を理解できる耳が出来上がっていない。つまり生活していて1/3、へたしたら1/2くらいの人のフランス語はまだ聞き取れない状態。メトロで電話している人が話している言語が最後の方でやっと「げっ今のフランス語か?!」と気づくこともあるし、道を聞かれて(何故私に聞く?)おばさんの言ってることがさーっぱりわからなかったり。特に私の住んでいる20区あたりでは私のわからないフランス語で話す人が多いので、もう外国語だと思い込むようにしている。←いいのか?

大学の先生でも、もろ南訛りの人もいるし、語学学校を卒業して以来、私の理解できるフランス語が私の生活から激減してしまった気もする。今のところ、南訛りの理解はマスターしつつあり、TVを見ていて南訛りの物まねを披露できるくらいまでいった(特にサッカー解説者のDaniel Bravo)。つまりphonetiqueでいうvoylelle nasale(鼻母音)を発音しなければいいのだ。しかし「南訛り」というのはマスターしやすいのだろうか?思えば、英語でも私は南部訛りの物まねをやっていた覚えがある(披露するのは勘弁して)。

そういえば私は生粋のパリジャンに会った覚えがない。「生粋のパリジャン」というのは江戸っ子みたいに3世代住まないと認定されないものなのかどうかわからないが、とにかく、パリ市内で生まれたが物価が高くてすぐに親が郊外に移り住み郊外育ちとか、そういう人しか知らない。ちなみにそういう人に限って「僕はパリ生まれだ」と言い張るので可笑しくなる。はいはい。

実際に会ってはないが、友達(アメリカ人)の友達の親が両方ともGoncourtで生まれ育ち、今でもそこのアパルトマンに住んでいて「昔からするとGoncourtもだいぶ変わったのう」なんて話していた、というのを聞いたことはある。とすると、私の友達の友達は少なくともGoncourtに生まれ育って3代目だから、生粋のパリジャンと言えると思う(江戸っ子の定義を当てはめた場合)。一度、パリに遊びにきたアメリカ人の友達に会いに、その友達(あ、こんがらかってきた)がご両親から譲り受けたというアパルトマン(両親は上の階に住んでいる)に伺ったことがあるが、大アパートという訳ではないけど、とても住みやすそうで感じのいいところだった。

学生の頃は観光気分でわいわいと毎日放課後にはどこかしらに出かけ、パリの観光名所はほとんど網羅したものだが(晩ご飯後に散歩に行きたくなり、ベルサイユ宮殿まで出かけ閉園時間になって危うく係のおじさんに門を閉められるところだった、という無謀な話もある)、現在はその頃には気づかなかったそんなパリの奥深さに「ほっほー」と感慨深い思い(観光地に行く気力と体力を失ったとも言える)。

私も自分の九州訛りをもう一度見直そうかと思い、相方相手に長崎弁で喋りかけたりしてみるが、ただでさえ日本語でまくしたてられると全くわからないのに加え、さらに宇宙語みたいなイントネーションと語尾をくっつけて話しかけられるので、さすがの相方(最近日本語の勉強頑張っている)も「やめてくれ…」とダメ出し。よかたいー長崎弁の日本語ば勉強するとも面白かとに。

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これまでのあらすじ

パリに来たのは2008年1月末。フランス語は大学のフランス語学科入学から始まり、1年間パリに語学留学したので、パリには「出戻り」ということになる(何年ぶりかは聞かないで欲しい)。何だかプチ隠居したい気持ちもあり、そして将来日本語、英語、フランス語のトリリンガルを目指そうかと(夢はでっかく)何と半年ほどで準備し、地獄の引越しを乗り越え、あれよあれよという間にパリに来た。日本にいた頃はフラ語はほとんど使っていなかったのもあって(+大学時代、毎年留年に怯える日々だったほどの語学力だったものあって)、来た時には文法がすっかり抜けていた。

喋りは幸い日常会話が何となく(デタラメでもいいのでデタラメに喋る姿勢)維持できていたので、最初の語学学校で「あなたの文法とオーラルの実力の違いは何?!」とレベルテストの先生に驚かれた。それほど文法のテストが散々だったのだと思う。

パリに来てからの計画は「半年は語学学校→その後大学に入る」というものだった。その頃はフランスの大学の入り方も知らず、日本でフラ語の勉強に励んでいた訳でもなく、我ながら崖っぷちなプランニングだが、人間追いつめられると意外な力を発揮するものなのだ。

そこで最初の学校では週25Hの集中コースを選択。学校はソルボンヌの外国人講座で、日本で各語学学校の授業料と履修期間をエクセルに記入し、徹底的に価格比較を行った結果だった。昔、パリカト(パリカトリック学院)に通っていて、スパルタだがとてもよかったので本当は「パリカト…」と思っていたけど、授業料がハンパなく高くて(私的に)とても手が届かなかった(涙)

結局、私はAvancéのクラスに入れられ、毎週テストと恐ろしく早口の発音矯正と「こんなんじゃディプロム(学期末テストに合格したら出るソルボンヌの修了書)は取れないわよ!」という恐怖の決め言葉に背中を押され(でも先生はいい人で好きだった)、半年で学べる文法はだいたい勉強した(と思う)。夏期講座は夏期講座でSuperieurのクラスに上がり、ひたすら接続法、接続法半過去、構文法を習い、「こんなもの実際の生活で使えるかー!」と思っていたら、なるほど今の大学生活では使っている(恐怖の論文で)。あの時、プルーストについて書けと言う課題(もちろん接続法のオンパレード)が出た時に、やけくそで「私がプルーストを嫌いな理由」を羅列し、「だからプルーストについては書きたくありません」と書いてごめんなさい。それでも面白がってくれた先生のユーモアに感謝。

お陰で大学登録に必要なTCFを受け、何とかB2を取れたので2008年9月には怒濤の大学入学へと続く。(疲れちゃったので本当に「つづく」…)

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